うん日のへにより

もやしと豚肉を炒めたやつ

昨日の絵


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 これは昨日の夜に描いた絵です。先日恋人が意図せずにお別れドッキリを仕掛けてきたときに考えた時に浮かんだ絵です。

 恋人からお別れをしたいと告げられた時に色々考えましたが、その中の1つとして愛し合ってはいるよなあと思いました。しかし恋し合えているかといったら恋人の気持ちに無理が生じてきたという話だと思いました。

 恋人同士が二人で作る形はハート型、それとも行為で言えばセックスとかになるのか。でも僕達はそういう形にはならなかったということなのだろうか、ではどんな形になるのだろうか。

 そう思ったときにこの絵が思い浮かびました。

 大まかに見るとセックス的な形はしているけど、これはセックスではない。火の輪くぐりのような、あるいはただ草の上で寝そべってるのか。

 草の上で寝そべっているようにも見えるのは意図していなかったけど、僕達らしいと思いました。僕達は草の上で寝ようかという提案をたまに出します。冗談半分、理想半分。

 恋人はその辺でも平気で座ってしまうところがあって、それが僕はかわいいです。草の上に寝転ぶ恋人もきっととてもかわいいのだろうと思います。

 愛し合っているのなら恋とは違う形でも二人は一緒に居られるのだろうとも思いました。それともやはり僕は恋人と恋をしたいのだろうかとも思いました。

 僕達だけでなく一般的にもこういう自体はあると思うので、そういう人にこの絵がどのように届くのかということは気になります。

 二人が重なり合う予定は初めはなくて、立体的にすれ違う予定でした。だけど描こうとしてみて、構図の決め方がよく分からなかったり、顔が隠れちゃうとか気にするのが面倒くさかったりして、結局重なりました。

 初めて手を繋いだ日に、僕は3Dモデルっていいなあと言いました。恋人と物理的な接触を超えて重なり合いたいと感じたし、3Dモデルは重なり合えるからです。そういう憧れみたいなものを絵にしたとも言えるかもしれません。

 愛し合うということの1つに認め合うということがあります。相手の良いところも変なところも全部認めることで、相手の実像が自分の中にできます。逆に相手に認められることで相手の中に自分の実像ができます。そうしたときに相手と自分は重なり合うようなイメージが浮かびます。心が重なり合うことを愛し合うと言うこともできると最近思っていました。そういう考えも結果的に反映できたかもしれません。

 たまたまそうなっちゃったことに頭の中で理由を付けながら描いていきました。

 うぴ。