扉開けて 開ける うんこをしている 閉じる
あと一時間半で今日が終わる。
今日は中秋の名月でしたね。見ましたか、まん丸で白く光る月を。
僕は月の話を聞いて見に行きたくなった。こういうのは逃してしまうと惜しいと思ってしまうし、単純に見たくなってしまう。
眼鏡をかけて、家を出て、土手の階段を登った。夜だし中秋の名月だしでなんだかいい感じの雰囲気なのだろう。だけど僕は解離のやつがあるので何も感じ取れなかった。
月を見て綺麗だとは分かる。だけどそれだけだった。本当はそれだけじゃないことは分かる。僕は土手を下りて、ふらふらと歩きだした。
目が悪いのに普段は眼鏡をかけずに生活しているが、今日は眼鏡をかけていたのではっきりと色々な物が見えた。世界はこんなに別れてるんだなあと思った。
見えているのに見えていないようでやっぱり相変わらずだと思った。眼鏡をかけていないときも見えていないようで見えていないのでどちらにせよ見えていないような感じではある。それでも眼鏡をかけていなければ解離のやつを多少意識しなくて済む。
こういう日に外を歩いていると実感というのはとてもいいものなのだろうと思う。実感することの幸せというのは僕にとってとても大事なものだったのだろうと思う。こうなってから長い。実感があることを夢にみる。
しかし実感することはいいことばかりではない。怖いことや辛いことや悲しいこともまた深く感じてしまう。僕は実感ともう一度一体になることがあったら、それはもしかすると辛いことなのかもしれない。だから、実感を望むのならば実感しても耐えうる世界を僕が生きていてほしいかもしれない。実感を迎えられるようであろうかなと考えたりした。
魂の無い体が魂が戻ってくる日を夢見て少しでも幸せに生活しようとする話。
まあ死ぬ瞬間まであきらめたりしないでもいいと思う。