止せ鍋
胃が痛い。下痢便をしすぎたみたいだ。気持ち悪くなる感じでお腹痛くなった。
今日は特に何もなかった。用事があったわけでもない、お使いに行ったわけでもない、家に居てぼけぼけしてたら終わった。
永井均の本を100pくらい読んだ。ほとんどよく分かってない。問いはこういうものなのかなというのを書いてみる。
実感を持てるのは自分のことだけだ。まあ皆それぞれ実感を持ちながら生きているわけだけど。実感一つ一つに客観的に見たところの差は無い。なのに俺は俺の実感のみ得られるのはどういうことなのだろうか。というようなことだろうか。
問いという形ですらなくなってしまったが、そんなようなことを言ってるのかなと思ったりする。問いを掴むことがなんだかうまくできない。
体があって脳があって精神があって実感がある。たまたまこの体で生まれてきたから俺の実感があるんだろうとか思う。そういうことを言うとそういう話ではないと返される。確かにこんな話はあまり面白くもない。
永井均自身は幼稚園児の頃からこれについて感じていたり考えていたりしていたらしい。その頃、俺は友達と一緒に好きな女の子のパンツを覗きに行っていた。永井均と俺はそれくらい違うのだ。だから分かり合えないこともある。あるいはそれくらい素朴な疑問なのかもしれないとか思う。
私があなたになっても私は気づけないとか言っていた。入れ替わるとか想像することも難しい。皆私だからなあ。
永井均の頭がおかしいだけなのかもしれない。
夕方の6時頃に散歩に出かけた。近所のコンビニでガムを買った。1/3ですっぱいやつの内1つを噛みながらふらふら歩いた。近所の公園の広場につくとお祭りがやっていてもおかしくない気がした。お祭りはやっていない。家に帰ってお祭りの作業用BGMを聴きたくなった。
惣菜屋の前を通るのを避けてしまう。僕は惣菜屋のおばちゃんを知っている。だから普通に挨拶がしたい。あんまり怖い感じもしない。だけど、土壇場になると違うキャラクターになってしまう。素直に表現したらうまくいくはずなのに、なぜかそちらが選択されてしまう。自分がしたいようにできない。すっきりしない。
家に帰って2つ目のガムを食べた。甘くておいしい。3つ目のガムはフォルムが少しおかしかった。両サイドがスライムの頭みたいになっていた。食べた。すっぱかった。
最近姉に「気持ち悪い!」とか「触るな!」とか言われることが多い。なぜだろう。
明日は頑張るし楽しくも過ごせるといいね。なんの予定も立ててないけど。さよなら。