うん日のへにより

もやしと豚肉を炒めたやつ

ただしお前はたかし

 現在21:29。まだ今日は残ってる。ここから先が今日の面白いところになるねんな。「何か楽しいことが起きるような幻想が弾ける~。」口を挟まないで星野源

 勉強の方針が定まったわ。よっしゃーこれからめっちゃ進むじゃん。よっしゃー。

 今日も何も無かった。

 

 ぼくりりの新曲のデモを聴いた。聴いてて思った。

 伝えたいことや思うことがあって曲を作ることもあると思う。でもその思いは今の彼の思いであって、これから先変わっていくことがある。だけどそれで構わないのかと思った。別に絶対的な何かを言わなければならないわけでもないし、今の彼の思いだからこそ響くことだってあるかもしれない。ただ、今の彼の作るものがそこにある。そういう感じでいい。そんなことを思った。

 ぼくりりの歌が好きだ。ぼくりり時代の曲もよく聴くし、ぼくりりの名前を捨ててからの歌もよく聴く。だけどこんなに好きなのにしょうもないリプを送ってしまう。俺もしょうもないリプを送ってしまうの辞職しよ。

 

 素直にYouTubeを観たいなあと思った。

 再生回数854回くらいの歌のカバーを再生するか躊躇する。どうせ変なんなんだろうなと思う。いや、でももしかしたらいい感じかもしれない。偏見だけで通り過ぎていいのか。

 開いてみるとすごく素敵な歌だった。だけど、どうせ変なんだろうなという偏見を握りしめたまま最後まで視聴したらどうなっていたか。変だったなあという感想が残っていたかもしれない。逆にこれは素敵に違いないと思って観ると素敵だったという感想が残るかもしれない。偏見に閉じこもると作品が見えない。そうなると様々な方向の豊かな情報が受け取れない。それだとなんかつまらないかもなあとも思う。だから素直に感じとったものを自覚して楽しみたいなあと思ったりした。

 あるいは偏見によって変わっていく解釈や目の付け所などもまた楽しいものなのかもしれない。じゃあやっぱり偏見あったままでいいのかもしれない。

 というかもっと肩の力を抜いてYouTubeを楽しめないのかと思う。脱臼YouTube

 

 風が吹けば桶屋が儲かるのが数学の世界だ。穴を掘れば牛肉がうまいし、タカを放てば茶柱が立つ。そういう行間を省いた因果のみを取り出したのが定理だ。多分。そして数学は定理がいっぱい。

 そういう定理の内容を覚えることは問題を解く上で大切だろう。そして証明や解答を見たり教科書を読む上では定理の名前とかナンバリングとかを覚えておくことも必須ではないけれどスムーズさを齎してくれるだろう。ということで今日は暗記したりしてました。書いてて思ったのはなんかうまくいかなそうな気がするなあということ。

 

 げぼ。50分くらいこれ書いてるじゃん。それじゃあおやすみ!